「研究サロン」
以下は、2021年大会時の活動です
【サロン】 zoomによる双方向コミュニケーション
「サロン」は専門分野/関心分野を同じくする参加者が集まり、共通の話題・テーマについて話し合う分科会です。
・学会員で提案をお持ちの方は『大会要項』該当サロン連絡係までご連絡をお願いします。
・一般参加の方、学生会員の方も参加申込書の希望サロン名にチェックを記入してお気がねなくご参加ください。
作曲のサロン
テーマ:作曲スタイル、注文と創作意欲
現代音楽だけでは作曲家は食べて行けないと言われている(例外はかのストラヴィンスキーのみともいう)。もし、心の赴くまま現代音楽だけを書いて行こうという志を立てたならば、富豪でない限り他に職業を持たなくてはならない。農業や漁業などと兼務するのは素敵なことだけれど、普通は技能を生かしてピアニストや指揮者を兼ねるか(これが理想的か!)、音楽教師をするか、あるいはそれらをこなしつつ、アルバイト的にお金になる作曲、編曲をして生活費を得るというところか。そのジャンルは、映画やテレビの音楽、ポピュラー音楽、教育用音楽など様々考えられるけれど、必然的に作曲のスタイルを使い分けることになる。その辺のところを作曲家たちはどのように考え、書き分けているのか。 また、西洋音楽史的に考えるとバロック、古典派の時代には作曲家が注文を受けずに作曲することはほとんどなかったはずだ。それ以降でも、あるいは現代音楽だって多くは内容、編成などが外的条件によって決まった上で取り掛かるのが一般であろう。演劇と似て、音楽も他者を介して上演され、聴かれないと普通は意味を持たないからだ。その場合、指定された内容と創作意欲との整合性はどうなっているのか。 詰まるところ、作曲行為とは何かという議論になりそうだ。私自身いろいろと考えていることもあるが、他の作曲家はどうなのか。別な分野の方も交えて話し合ってみたい。
ピアノのサロン
テーマ:よいピアノ演奏とは何か→実現のための→ピアノの構造の知見
音楽において「よい演奏」とは、漠然としており、演奏者、聴衆、教育者の好みの問題も加味されることから、明確な定義が困難である。しかし、コンクールの審査や大学の定期実技試験などで、さまざまな来歴の方たちと採点すると、上位入賞者はほぼ一致することが多い。さまざまな来歴とは、審査員の今までの教育歴、演奏歴を指すが、審査する側の信念や審査基準が異なったとしても、「よい演奏」は、一致することが多い。その点に注目し、「よい演奏」とは何かをあらためて考えてみたい。(深井) そこから導き出した要素から、「よい演奏」の実現のためピアノという楽器をあらためて見直す。昨年の続編として、現在多く使用されている、スタインウエィ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、ヤマハ、カワイ、ファツィオリなどの特性と演奏者の「好み」がマッチした楽器といえるのかを考察する。良い演奏を行うために必要であるのが「良い楽器」であろう。しかしながら楽器には個々の「好み」があり、どの楽器が良いと言えるなどの定義はない。今回は良い楽器の一定の定義を設定するため、実際にピアノの構造はどのようになっているか、アクション部分やハンマーの状態、鍵盤などを実際に手に取りながらワークショップを行う。 (髙久)
資料:
① マッテゾンの言葉、CPEバッハ、テュルク、チェルニーの著書からの「よいピアノ演奏」の要素の配布資料
② ベートーヴェンのピアノソナタcis-moll Op.27-2 「月光」(5つの演奏の聴き比べ)
③ 渡辺裕著 西洋音楽演奏史論序説から資料配布
管弦打楽器のサロン
テーマ:コロナ禍で管弦打楽器ができたこと、できること
昨年準備していたテーマは「管弦打楽器の音楽表現とは」でしたが、今回はコロナ禍の話題を避けることができないと予想し、このテーマを設定しました。厳しい制約を受けた(または、今も受けている)管弦打楽器の音楽活動ですが、多くのことが不自由であったからこそ新たに気づいたこと、生まれたものがあったのではないかと思います。例えば、テレワークによる合奏動画やオンラインのレッスンを初めて経験した方も多いことでしょう。今回のサロンはそういった情報交換からスタートして、管弦打楽器の特性を踏まえながら今後の展望について話すことができればと考えています。 このサロンもこれまでと違うZoomでの開催になりますが、多くのご参加と白熱した議論を期待しています。なお、管弦打楽器以外の専門の方からのご意見も大変刺激になります。どなたでも、どうぞ遠慮なさらずご参加ください。
指揮のサロン
テーマ:音楽解釈者としての諸問題—不文律かつ秘密の手の内を探る —
今回は指揮者に限らず、演奏する立場にあるあらゆる方々を当サロンにお招きすべく企画しました。これまでの話題は指揮に直接関わる内容に絞られてきた感がありましたが、今回のキーワードは「音楽解釈者」です。楽譜を読む方すべてが関係者です。 リハーサルまでに作品を解釈し、どう演奏すべきかを検討すること、これは指揮者にとって重要な仕事ですが、他の楽器奏者や声楽家も同様の作業をします。他のサロンでは既に楽譜解釈(版の問題)を扱った年もありましたが、当サロンではより広範な問題も含めて表現実践上の情報交換ができればと考えました。 さて、皆様からのご意見を頂戴するにあたり、先ずは思案の叩き台として、今年度の当サロンの連絡係が常々葛藤しています事項を以下に書き連ねてみました。勿論、他の観点でのご意見や話題も歓迎です。
① 「楽譜通り」とは何か—例えば無意識に現代の演奏習慣としてしまっている某作品の某箇所の問題等—
② 19世紀以前の楽器や演奏習慣の問題—モダン楽器演奏に 反映させる、させない、できる、できない—
③ 追創造する表現(演奏)の主体者としての葛藤
—結局、誰を優先させているのか、に関わる問題—
④ 理想と現実—思い通りにはいかない事例やその対処、妥協点などについて—
⑤ 指揮者とソリスト—解釈・演奏上の主導権問題—
最後に、今回のテーマは各演奏者の手の内、心の内、そして、理想と現実などのご経験もお聞きできる可能性、言わば他店の秘伝を聞かせて頂ける機会になるやもしれぬと、一表現者として個人的に密かに期待しております。サロンという場だから言えること、聴けることがきっとあることでしょう。
ソルフェージュのサロン
テーマ:ソルミゼーション(階名唱)の利点と実践
「ソルフェージュ」のサロンでは、教員養成大学教員、地元の音楽教室講師、中学・高校および小学校の音楽教員など様々な音楽教育の現場で教えている皆さんにご参加いただき、参加者それぞれが、異なる音楽経験や背景をもった生徒たちを教える実践をもとに、各自のソルフェージュの実践報告や教授法の提案などの情報共有を行っています。 ソルフェージュと聞くと、読譜の訓練が思い浮かぶ方が多いのではないかと思いますが、このソルフェージュのサロンでは、「ミュージック・リテラシー」の向上を目指した「音楽的な」音感訓練としてのソルフェージュの実践を目指しています。 アイデアを出し合ったり、情報共有をしたりするだけでなく、実際にソルミゼーションや時にはハンドサインなどを用いて旋律を歌ったり、参加者の皆さんで合唱をしたりすることも毎回行っています。初めて会ったグループで気持ちをひとつにしてハーモニーを奏でるのはチャレンジですが、きっと音楽のすばらしさを実感していただける機会になると思います。 初めて参加される方も大歓迎ですが、是非ご自分のソルフェージュの実践方法や教え方の工夫、またはソルフェージュの指導において苦労されていることなどを共有していただければと思います。ご質問、資料等は連絡係の方までお気軽にお寄せください。みなさまと有意義な学びの時間を持つことができますことを心から願っています。
日本音楽のサロン
てーま:作戦会議・音楽をどう未来に繋ぐ?
日本音楽のサロンは、2013年のイーハトーブ大会に発足し、本大会で8回目を迎えます。これまでサロンでは、多様なご専門の皆様が日本音楽への興味・関心、気付きや疑問等を率直に共有し合う機会として、活発な意見交換が行われてきました。 その中では、主に次の話題が寄せられました。
① 楽譜表記から捉える音楽の実態
(現在日本では五線表記法による楽譜表記が主であるが表記から観えてくる日本音楽の様相)
② 自身と日本音楽の関わり
(各々専門の視座から感得する日本音楽)
③ 日本音楽の内容に関する疑問・質問等
(専門用語等の意味やその表現について)
そこで本大会では、これまで意見交換の内容や、さらに本大会の新たな視点を踏まえた情報共有や成果についてまとめる試みとして、“作戦会議”を開きたいと思います。サロンは、本学会オリジナルの自由で魅力的なコミュニティーであります。多様なご専門の皆様の知見や感性を融合する等のマンパワーを活かし、サロン発足10年という節目に向けて、ご一緒に何かを生成する創造的なひと時を楽しみたいと思います。 瞬く間に既成概念が崩壊し、再構築・誕生が期待される昨今、2021年天翔るペガサス大会では、次世代へのヒントや萌芽を“ペガサスの翼 ”に乗せ天空を駆けるごとく、今こそ音楽の喜びや希望を語り合うひと時となるよう、自由な“作戦会議”にどうぞお気軽にお集まりください。
音楽表現と社会のサロン
テーマ:音楽表現という“行為”について考える—“個”と“集団”を切り口に —
「音楽表現と社会」のサロンは、飛び入り、ディスカッションのテーマ持ち寄り大歓迎のサロンで、専門領域を異とする、いわゆる異業種の会員が集うところが特徴です。Blue Valley 大会で種が蒔かれ、イーハトーヴ大会で芽を出したこのサロンは、音楽が社会的営みであることを認識した上で、音楽の自立性や、音楽表現のライブ性、個と集団について論じてきました。一昨年のかきつばた大会では、折り鶴大会での「音楽表現における“ 個” と “ 集団”」の議論を深める意味から、「音楽表現における“行為”について考える」をテーマにして、音楽表現の自律性を主な論点としながら、さまざまな専門領域の会員によって興味深いディスカッションが展開されました。 今回は、その議論を引き継いで、再度“個”と“集団”の議論に立ち返りながら、音楽表現における「行為」についての議論を深めてみたいと思います。 音楽表現における“行為”について、 “個”と“集団”の関係性を軸に、いろいろな専門領域の会員の皆さまで多角的にディスカッションを展開していければと思います。 いろいろな専門領域の会員が集うことによって可能になる自由なディスカッションから、これまで常識と思っていたことが覆されたり揺さぶられたりするのがこのサロンの魅力ですので、当日の話題持ち寄り大歓迎です。日頃感じていること、考えていることを自由に語り合うことで、音楽の新たな視界が開けたり、新たな切り口がみつかることを期待します。