『音楽表現学』目次と要旨一覧

   要旨は目次の後に掲載しています。

音楽表現学 Vol. 1

【目次】

2003年11月30日

日本音楽表現学会会長 中村 隆夫 ⅰ
『音楽表現学』第1号発刊に寄せて

[原著論文]
新山王 政和
パフォーマンスにおける”かたまり”(時間的な区切り方、時間的な間)の規則性とその規則性とその確立プロセスについての分析的研究 –量的時間による分析と美的な価値観を手がかりにして–

鈴木 慎一朗
戦前の唱歌遊戯に見る表現教育
–『改正体操教授要目開説』(1936)を中心として–

奥 忍
和歌朗詠に見るリズム操作
–百人一首朗詠を中心に–

中村 順子
ドビュッシーの歌曲の本質
–音楽表現学的視点による声の探求–

[研究報告]
山田 貢
ラウテンクラヴィーアの設計諸元と結果

伴谷 晃二
伴谷晃二作曲『カーラ・チャクラの風,バリトン,尺八,三絃のために』(2002)の創作過程について

[寄書]
深井 尚子
日本音楽表現学会に期待すること

[設立大会報告]

〈基調講演〉 
西山 佑司
音楽表現の意味と創造的解釈をめぐって

〈研究発表1〉 
山田 貢
バッハとラウテンクラヴィーア 
–失われた楽器を求めて–

〈研究発表2〉 
新山王政和
パフォーマンスにおける時間的区切りとしての間の規則性と,
その確立プロセスについての分析的研究

〈研究発表3〉
内田陽一郎
感情表出のための—考察
–G.サイドラーの〈歌唱技法〉を中心に–

日本音楽表現学会会則

日本音楽表現学会編集委員会規程

日本音楽表現学会機関誌『音楽表現学』投稿規定

成果発表・研究会関係細則

 

【論文の要旨】

パフォーマンスにおける“かたまり”(時間的な区切り方、時間的な間)の規則性と
その確立プロセスについての分析的研究
─量的時間による分析と美的な価値観を手がかりにして─

新山王 政和

【要 旨】 演者として能動的な立場でパフォーマンスを行う際に「時間的な区切り」としての“かたまり”や「時間的な間」としての“かたまり”を意識下・無意識下においてど
のように知覚し動作をコントロールするのか、ということについて分析を試みた。その結果、どのような”かたまり”の取り方がより自然なものとして感じられ、それには一定の傾向や規則性はあるのか、さらにそれは演者の熟達度と関係はあるのか、ということについて明らかにした。分析の対象には、美的価値を追求した「解釈」によって“かたまり”の取り方が意図的に加工・洗練されてしまう芸術の分野からあえて離れ、もっとプリミティブなレベルの動作である武術の分野におけるパフォーマンスを取り上げることによって、ヨーロッパ音楽と日本音楽などのように様式として分化してしまう以前の段階における、より一般的な身体的反応と普遍的な知覚レベルの特徴や傾向を確認することができた。
キーワード:間、区切り方、かたまり、パフォーマンス、時間量

 

戦前の唱歌遊戯に見る表現教育
─『改正体操教授要目解説』(1936)を中心として─

鈴木 慎一朗

【要 旨】 戦前の運動会では、オルガンを運動場の中央に置き、その周りを子どもたちが取り囲み、唱歌を歌いながら振り付けをして踊る、「唱歌遊戯」が実施されていた。本研究は、昭和前期(1926〜1945年)の学校教育での「唱歌遊戯」の実践について考察したものである。まず第一に「学校体操教授要目」の変遷を考察し、「唱歌遊戯」が学校教育の中で位置付けられたことを明らかにした。次に『改正体操教授要目解説』(1936年)を取り上げ、伊澤エイの「唱歌遊戯」の作品を分析した。その結果、次の2点が明らかとなった。
① 作品の中には若干<自由・創造性>が見られたものの、大部分は<型>にはまった<動き>で構成されていること。
② <音楽>に関しては、歌の旋律よりも足のステップや歌詞の内容・意味を優先してしまい、<音楽>と<動き>との関連は薄いこと。

キーワード:唱歌遊戯、型、自由・創造性、動き、音楽

 

和歌朗詠に見るリズム操作
─百人一首朗詠を中心に─

奥  忍

【要 旨】 本稿は「拍子を分割する単位拍としての間」の研究の一部分をなしている。これまでの研究から、聞き手が感じる拍感には、構音や音高など、さまざまな要因が働いていることが明らかになっている。そこで、今回は「時間長」に焦点を当て、旋律的要素よりもリズム的要素が優位であり、しかも表現法として様式化されている和歌の朗詠を取り上げた。朗詠と律読、朗読との相違点をリズムの視点から検討した上で、百人一首の朗詠の音声分析を通して、各句と単位拍、モーラの時間長配分によるリズム操作を明らかにする。検証された5仮説の中でとりわけ注目されるのは以下の3点である。
・特定の語や句についての強調や、語句境界よりも全体の時間的な流れが優勢であること。
・単位拍、モーラは等拍/等時でなく、流動的であること。
・様式化された朗詠の中に演者個人の表現様式が存在すること。
 この実験で明らかになった言葉の流動的なリズム操作、モーラの時間長配分は、他の邦楽ジャンルにも共通している可能性がある。

キーワード:和歌朗詠、百人一首、リズム操作、単位拍、モーラ、時間長

 

ドビュッシーの歌曲の本質
─音楽表現学的視点による声の探求─

中村 順子

【要 旨】 音楽表現について考える際、オングが提唱した、声に出されたもの/書かれたものという思考の枠組みが役に立つと思われるが、これによるとドビュッシーの歌曲において、この2つの項の落差が大きいという興味深い問題が浮かび上がる。すなわち第一に、歌詞を見て感じた量より、演奏で歌われることばの量の方がずっと少ないようにきこえる。第二にこの歌曲は楽譜を見ると、とらえどころのない曖昧模糊とした世界であると思われるのに、一旦演奏されると強い印象を与え、他のオーソドックスとされるフランスの芸術歌曲より舞台映えがするように感じられる。つまり、書かれたもの(テキスト、楽譜)と声に出されたもの(実際の演奏)との間に大きな違いが現れるのである。
 そこで本論では、ドビュッシーの「憂鬱」(spleen)を取り上げ、楽曲分析という手段を用いてフォーレと比較しながらテキスト/歌、楽譜/声という視点で考察を行った。ここから次の3点、つまり(1) 歌の旋律が詩行・詩節という詩の形式に従わず全てをひとつながりにして演奏するものとなっていること、(2) 歌の旋律がテキストの意味内容を表す身振りとなっていること、(3) しかもそこには、演奏者がテキストの主人公になり切るような声の表情が作られていることが得られたが、上で述べた第一の落差は(1) に、第二の落差は(2) と(3) に由来すると考えられるのである。

キーワード:音楽表現、表現されたもの/書かれたもの、ドビュッシーの歌曲、声

 

ラウテンクラヴィーアの設計諸元と結果

山田 貢

【要 旨】 バッハの鍵盤作品を演奏している中で浮かび上がった疑問を解明するために、図像による例証もないラウテンクラヴィーアの楽器復元製作を試みた。本報告は、楽器設計から完成までの過程における諸研究と試行錯誤を記したものである。

キーワード:ラウテンクラヴィーア、楽器復元製作

 

伴谷晃二作曲『カーラ・チャクラの風、バリトン、尺八、三絃のために』(2002)の創作過程について

伴谷 晃二

【要 旨】 伴谷晃二作曲『カーラ・チャクラの風、バリトン、尺八、三絃のために』(2002)は、<尺八、三味線、バリトンによる新しい余韻 part 2>(2002年10月16日、東京・四谷区民ホール)において、福田輝久(尺八)、杵屋子邦(三絃)、鎌田直純(バリトン)により初演されたものである。
 この小論は、この作品をもとに、創作の原点、作曲上の計画、スケッチ、楽器の編成と配分、作品における奏法や音組織上の特徴等をとおして、独自の創作過程に関する研究報告をまとめたものである。
 この作品は、西チベットの<カーラ・チャクラ マンダラ>等の仏教壁画の図像的な構成が示す、“カーラ”(無限の時間=kāla)と“チャクラ”(無限の宇宙=Cakra)の関係を表象するといわれる”時輪”の概念を根底に置き発想されている。この作品では尺八を“カーラ”(時間)として中軸に置きながらも、同時に尺八、バリトン、三絃が縦横に関係する“チャクラ”(宇宙)として位置付けている。尺八を基軸にしながらも、三者が三様に絡まり関係し合う様相は、螺旋状に展開する円環的な多面体である。全体は11のブロックからなるが、内容は徐々に変容を続けるAの連鎖として捉えている。その結果、時間の経緯に沿って“流動する構造”また“円環的な構造”を示す作品としても位置付けている。

キーワード:創作過程、スケッチ、マンダラ、時輪、円環的な多面体