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『音楽表現学』目次と要旨一覧

音楽表現学 Vol. 12

【評論論文】

竹内   直

早坂文雄と「12音技法」

―その影響の痕跡と12音の組織化のはざまで―

要旨: 日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)は戦後になって日本で本格的に受容された12音技法について否定的な見解を示した。しかし、1955年に書かれた《交響的組曲「ユーカラ」》のスケッチのなかには12音音列やオクターヴ内の12の音すべてを重複なしに使用した旋律の断片が残されている。早坂の12音技法への関心を示すスケッチの存在は、早坂が12音技法を少なからず試みた、あるいは試みようとしたことの証左である。早坂は作品の完成稿に12音技法そのものを用いなかったが、音程や音数のグループ化によって、12音の組織化を試みている。本稿はスケッチを足がかりとして、早坂文雄と12音技法との係わりを、彼自身の汎東洋主義の音楽論との関係も含めて明らかにすることを試みたものである。  12音技法自体は放棄したものの、早坂は《ユーカラ》のなかで様々な音を組織化する手法を用いた。同じ音程の反復や音数のグループ化といった音の組織化は12音技法そのものよりも、むしろ新ヴィーン楽派の無調期の作風との関連を感じさせるものである。音を組織化する種々の手法は、早坂が12音技法をそのまま受け容れたのではなく、独自の方法でそれらを咀嚼し、東洋的な抽象性・形而上性と無調音楽との融合を目指した音楽観である自らの汎東洋主義との接点を模索した結果であると結論づけられる。

キーワード:早坂文雄、12音技法、シェーンベルク、メシアン、「汎東洋主義」の音楽論

【研究報告】

鈴木 慎一朗

三上留吉のライフヒストリーと《貝殻節》

―SPレコードによる地域創造のための宣伝歌―

要旨: 本稿は、鳥取県出身の三上留吉(1897-1962)のライフヒストリーを検証し、浜村温泉の宣伝歌としての《貝殻節》の特徴を明らかにすることを目的とする。三上は、鳥取県師範学校附属小学校在職の間に、野口雨情らとも出会い、精力的に作曲、執筆活動に取り組み、特にレコードの果たす教育効果に注目していた。在職中の1933(昭和8)年には、浜村温泉の宣伝歌として《新民謡 貝殻節》のSPレコードがコロムビアから発売された。三上が古くから海歌として唄い継がれていた《貝殻節》を採譜してできた《新民謡 貝殻節》は、他の新作された観光宣伝的な新民謡が有する音楽的特徴とは必ずしも合致しなかったも のの、和洋折衷の音楽表現の傾向は見られた。また、野口雨情の助言を若干受けつつも、地元の小学校の訓導らが中心となって地域の浜村温泉の活性化のために制作したという特徴があった。

キーワード:三上留吉、《新民謡 貝殻節》、SPレコード、観光宣伝的な新民謡、浜村温泉

佐川   馨

小田島樹人の生涯と教育実践

 

童謡≪おもちゃのマーチ≫で知られる小田島樹人は明治18(1885)年3月19日、秋田県鹿角市花輪に生まれた作曲家、音楽教育者である。本研究では、その生涯を3期に区分して教育実践の足跡を辿り、その音楽教育観や教育業績を考察した。  第Ⅰ期:当初は家業の醸造業を継ぐために鹿児島造士館理科に進学するが、中退して東京音楽学校に入学する。在学中には雑誌『音楽』に複数の論文を発表するなど、ピアノの演奏能力以上に文筆の能力に秀でたものがあった。  第Ⅱ期:ホトトギスの句会で知り合った海野厚や東京音楽学校同級の中山晋平らとともに童謡運動に参画する。海野の詩と自身の唱歌教材観に基づいて『子供達の歌』を刊行し、優れた童謡作品を次々と発表する。しかし、海野の死に消沈して創作活動は停滞し、その後は唱歌教材集の編集出版の事業に力を注ぐようになる。  第Ⅲ期:妻の死を契機に秋田県鹿角市に帰郷し県立花輪高等女学校で教鞭を執る傍ら、地域の生涯学習支援にも取り組む。秋田中学転任後は学生音楽連盟を組織して音楽新聞『音楽秋田』を創刊するなど、地域の音楽教育活動の啓蒙発展に尽力した。

キーワード:小田島樹人、音楽教育、教育実践、童謡、東京音楽学校

門脇 早聴子

初等科音楽における簡易楽器導入の歴史的背景

―「ハンドカスタ」を考案した上田友亀に着目して―

本論は、戦前、音楽の授業に器楽教育を本格的に導入しようとした上田友亀(1896-1994)に焦点を当て、戦前・戦後の混乱期における器楽教育における、ひとつの方向性を明らかにする。具体的には、小学校音楽科教員であった上田が、児童の主体性を重んじた教育の一つとして、唱歌の時間に器楽教育を始めたきっかけ、および戦後に上田自身が考案した「ハンドカスタ」製作の意図について、歴史的背景に基づいて述べる。  上田は、戦前の物資の少ない中で児童の音楽教育水準を上げるために、児童に適した簡易楽器の必要性を説いた。彼が提唱した授業内で簡易楽器を用いた活動は、児童の意欲を掻き立てる内容であり、リズムをはじめとする音楽の基礎を築くための大事な過程であった。さらに「ハンドカスタ」の構造や奏法を示すことにより、上田が考えていた拍子打ちに留まらない、ハンドカスタによる様々な奏法を実現するリズム教育の在り方が明らかになった。

キーワード:簡易楽器、ハンドカスタ、器楽教育、上田友亀

 

【展  望】

鷲尾  惟子  観光化政策が与えた芸能への影響

―中国・新疆ウイグル人の民間芸能「ドラーン・メシュラップ」を事例に―

【書  評】

宮本 賢二朗  古屋 晋一 著『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』

 

柳井   修  小岩 信治 著『ピアノ協奏曲の誕生―19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史』

【追 悼 文】

阿部 亮太郎  追悼:三善 晃

  

【第12回(まほろば)大会報告】

HP「大会のご案内」「過去の大会」をご覧下さい。

日本音楽表現学会 「会則」等諸規定